鳳山仮面舞
約200年前から黄海道鳳山郡洞仙面ギルヤン里から伝え受け継がれたが、1915年頃峰山郡庁の行政機関が沙里院に移転し京義線鉄道が開通しながら仮面舞も沙里院に移され、景岩山の麓を中心に行われて伝授された。鳳山仮面舞は歳時風俗の一つで、毎年5月端午の時に景岩山の前にある景岩広場で夜に焚火をたいて仮面舞を踊りながら夜をあかすことから自然に形成された風習で、黄海道全域に分布した海西仮面舞の代表としてその劇本の科場と内容から見て、サンド大監系統劇の一分派に解釈される。鳳山仮面舞の中興者は、約200年前鳳山郡の衙前だった安草木という人で、彼は全羅道のある島へ流されてから帰ってきた後、黄土で作った仮面を紙の仮面に変えるなど、この遊びを大きく変化させた。南方へ中部のシンデ遊び地域と繋がり、他の地方仮面劇の影響を絶えず受けながら改良されてきたと見られるこの鳳山仮面舞は、壁邪(あやしくて邪悪な鬼を退ける)の信仰的性格が強かったが、現在は宗教的要素よりは娯楽的要素がより多いと見られる。
鳳山仮面舞の構成
技能保有者指定
鳳山仮面舞はキム•エソンの父親であるキム•ジンオクが主になって去る1967年6月17日無形文化財第17号に指定されたが、父親が2年が経たずに他界した後、父親の後を引き継いだキム•エソンの功労が認められ、去る1989年に無形文化財第17号の技能保有者である5人のうち一番幼い53歳でモクジュンとサンザ、そして父親と一緒にしたソムヨクで技能保有者に指定された。
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